2017/09/22
1人ひとりが
自分自身に誇りを持っている状態が幸せ。
自分=支えてくれている人達、環境含め過去の集合。
『ナルシストでいい。ただエゴイストであってはいけない』
『誇り』そして、『勇気』それが個人として大事にしていきたい想い。
そして、実現したい誇りあふれる空間。
まだ20年と少ししか生きていないけれど、
これからを考えるために、これまでを考えた。
自分は、小さい頃、スポーツも勉強は、平均より少しできる所にいた。
だから、運動会では活躍できたし、生徒会長も先生にやらされてきた。
キャプテンや運動会団長とかは、小中の頃の役割。。。
それだからか、いつも自分を他者との比較、優位かで評価していた気がする。
高校時代、70人以上いる野球部の中で、1年から遠征に連れて行ってもらい、秋にはベンチ入りもして試合に出ていた。
春、レギュラーがかすかに見えてきた時に、肘を怪我した。。
春の石川は寒い。。
日常生活の中でも、時折、痛みを感じ、練習もろくに出来ないまま。
春の大会のメンバー選考の時期に入っていった。
その頃は、ベンチ入り当落線上にいた自分は、最後の練習試合で3三振。
スタンドに回った。
片道1時間以上かかる、針治療に通い、直りかけた5月。
練習中に左肩を脱臼した。
また思うように練習できなくなった。
その時期、
怪我をして、理由を周りに求めている自分がいた。
うすうす気付いていた。そんな自分が嫌なことを。
レギュラー争いの中でライバルのミスに安堵する自分に。
野球が初めて嫌いになっていた。
ある5月の夜。
家に帰り、ランニングに言ってくると、
中学時代のグラウンドへ向かった。
自分は、中学から野球を始めた。経験者の中に、素人1人。
1つ上は強くて、学校には、後にプロに入る人もいた。
その時、毎日のように、球拾いだったけど、ただ野球が楽しくて続けた。
走り込みの日も、周りが遊ぶ中で、黙々と走ったのを覚えている。
その時のグラウンド。
3年の時は、ショートのレギュラーになって、ノックを受けた、その場所で、初めて悔し涙を流した。
長ーーーくなったけど、
あの時の感情。
自分を、周りさえも嫌いになっている自分に対して。
レギュラーになれなかったこと以上に、そんな自分に、涙していた。
『誇り』
自分に誇りを持つことが、そのために行動し、日頃在り続けることが、自分にとっての幸せになる。
そして、目の前の人にもそうあってほしいと、思う。
人との比較。
自分の現在地を測るために必要なモノ。
しかし、自分の価値を決めるのは、人との比較ではない。
そう気付かせてくれたのが、あの場所。
そして、『誇り』を持つことが『勇気』に変わる。
勇気とは、これも比較ではない。
自分が正しいと思うことを行動に移すその気持ちであり、気概である。
決して、大きなリスクを負うことではない。
この2つがベースにあるからこそ、誇りあふれる空間を創造していく存在に近づく。
方法は、世の中の状況や自分の興味、強みで変わっていくだろう。
しかし、ベースにあるものは、変わらないモノ。
このブログに書くことは、その時に思うたわごとが多い。
数年後に見れば、何も知らないと、自分でも恥ずかしくなることもある。
『社会の埃』となるのかもしれない、けど『自分にとっては誇り』にもなっていく。
自分の記憶
それは『ホコリ』にまみれた確かな記録。